2009年のニュース

【11月27日】 国内初 角竜類化石見つかる…兵庫・篠山 トリケラトプスの祖先? 兵庫県篠山市の白亜紀前期の地層・篠山層群下部層(1億4000万〜1億2000万年前)から、国内で初めて、原始的な「角竜(ケラトプス)類」の頭部化石の一部が見つかったと、同県立人と自然の博物館(三田市)が26日、発表した。角竜類は草食恐竜で、大型のトリケラトプスなどで知られる。化石はその祖先となるネオケラトプス類に属するとみられる。-続きを読む-YOMIURI ONLINE-56
                      
 ネオケラトプス類の化石は中国やモンゴルで5例見つかっているだけで、同博物館は「角竜類の初期の進化の様子を解き明かすうえで世界的に貴重な資料」としている。
見つかったのは、上あごの「右前顎骨」(長さ、高さ、厚みの順で29ミリ、26ミリ、8ミリ)と「左上顎骨」(同42ミリ、18ミリ、13ミリ)、下あごの「左歯骨」(同14ミリ、15・5ミリ、12ミリ)の3個。体長50〜60センチの子どもと推定され、二足歩行をしていたとみられる。保存状態は良く、全身骨格の発見も期待される。
? 2007年10月下旬〜11月初旬、アマチュア研究者の足立洌さん(66)(兵庫県丹波市)らが、08年6月に発表された国内最古とみられる哺乳類の化石を見つけた同じ現場から発見した。
 国立科学博物館の真鍋真・研究主幹の話「角竜類は東アジアで出現した初期の段階の進化がよくわかっておらず、今回の化石が新たな情報をもたらしてくれるのではないか。世界的見地で大きな発見となりそうだ」

角竜(ケラトプス)類 白亜紀前期の東アジアに起源を持つとされ、白亜紀後期に移住先の北米で繁栄した。二足歩行だったが、進化の過程で四足歩行となった。ケラトプスは「角を持つ顔」との意。初期には顔に角があるものが多く発見されたことから名付けられた。最も進化したとされるトリケラトプスは体長が10メートル近くで、3本の角と後頭部から首にかけて襟飾りがある。(2009年11月27日  読売新聞)

【10月6日】  新種恐竜 国内4例目 98年発見 頭部化石 白山『桑島』で初
        10日から公開 
 石川県白山市教委は五日、同市の中生代白亜紀前期(約一億三千万年前)の地層「桑島化石壁」で一九九八年六月に見つかった恐竜の頭部化石が、国内四例目となる新種恐竜だと発表した。四例中の最古級という。恐竜は「アルバロフォサウルス・ヤマグチオロウム」と命名された。同化石壁から新種恐竜が発見されたのは初めて。(鶴来・松本芳孝) 
   
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 調査にあたった東大の大橋智之特任研究員(33)によると、新種恐竜は、推定で体高六十センチ、体長一・三メートル程度の小型草食恐竜で二足歩行していたと考えられるという。見つかった化石は上あご、下あご、歯など顔左半面の一部十一点で横約二十センチ、縦約十センチの石の中に散らばっている。県と旧白峰村(現白山市)が設置した「桑島化石壁産出化石調査協議会」の調査で見つかった。
 当初はイグアノドンに代表される鳥脚類恐竜とみられたが、大橋研究員の解析でトリケラトプスに代表される角竜類恐竜の特徴も併せ持つことが分かった。両者の進化の分岐点に近い原始的な形態とされる。
 大橋研究員は「他の部位が見つかれば、鳥脚類か角竜類かの分類は可能になると思う。植物を水平方向にすりつぶす鳥脚類と、垂直方向に切り刻む角竜類の進化初期の植物の食べ方の分化を知る貴重な資料」としている。
 大橋研究員は論文を、草食恐竜研究の世界的権威、英国ロンドン自然史博物館のポール・バレット研究官と共著で、米国古脊椎(せきつい)学会誌に投稿。九月三十日発行の同誌に掲載され、新種と認められた。
 名前は「白山の竜」を意味する「アルバロフォサウルス」と、同化石壁の調査に長年貢献した石川県立白山ろく民俗資料館の山口一男館長と、元同調査協議会調査補助員の山口ミキ子さんに敬意を表した「ヤマグチオロウム」をつなげて付けられたという。
 化石は十〜二十五日に同市の白山恐竜パーク白峰で公開される。大橋研究員は十八日午前十時から、同市民交流センターで新種恐竜について講演する

 進化解明へ貴重
 小林快次北海道大学総合博物館准教授(古生物学)の話 発見された恐竜は、鳥脚類と角竜類が枝分かれする分岐点にいる原始的な存在。草食恐竜の生態系が大きく二つのグループに分離していく起源の秘密を握っている。草食恐竜がどのように草を食べて繁栄し、進化していったのかを解明する鍵になるだろう。人間の進化に例えるなら、ヒトとサルの共通の特徴を持った生き物のようなもので、古生物学において非常に貴重な発見だ。

【10月2日】 鞆の浦訴訟、広島県は免許手続き継続へ…判決「理解できない」 広島県福山市の(とも)の浦で、県と市が進めている埋め立て・架橋事業に反対する住民が、埋め立て免許交付の差し止めを求めた訴訟で、広島地裁は1日、原告の主張を全面的に認め、差し止めを命じた判決を言い渡したが、同県はこの判決を不服として、今後も国に対して、免許の手続きを進めていく方針を明らかにした。
 この日午後、県庁で記者会見した県空港港湾部の丸山隆英部長は、「とうてい承服できない。判決は公有水面埋立法上の手続きに問題があるとは指摘しておらず、免許手続きは進める」と述べた。また、判決が景観利益を認め、県の調査を不十分とした点については、「漠然と範囲を広げて景観利益をとらえている。調査の何が不十分なのかもまったく理解できない」と批判した。 一方、前原国土交通相は1日の閣議後記者会見で、「判決を重く受け止め、広島県がどう判断するのか推移を見守りたい」と述べた。〈判決要旨12面〉(2009年10月2日  読売新聞)-YOMIURI ONLINE-56

【10月1日】 鞆の浦、埋め立て差し止め…広島地裁判決 ポニョの「舞台」、「景観利益に損害」 万葉集に詠まれた景勝地で、映画「(がけ)の上のポニョ」の舞台になったとされる広島県福山市の(とも)の浦で、県と市が進める埋め立て・架橋事業をめぐり、反対する住民ら159人が県知事を相手取り、埋め立て免許の交付の差し止めを求めた訴訟の判決が1日、広島地裁であった。-続きを読む-YOMIURI ONLINE-56
            能勢顕男裁判長は「鞆の浦は国民の財産で、免許が交付されれば、住民が日常的に恩恵を受けている景観利益について重大な損害が生じる恐れがある。免許の交付は裁量権を逸脱している」として、原告の主張を全面的に認め、知事に免許を交付しないよう命じた。改正行政事件訴訟法に基づき、景観利益を理由に公共事業が事前に差し止められるのは初めてで、開発と景観保護のあり方に影響を与えそうだ。
 判決で、能勢裁判長はまず、原告適格について判断。鞆の浦の住民は、歴史的・文化的価値を有する景観の恩恵を受けており、法律上の利益を有していると認定。「免許が交付されれば景観利益について、重大な損害を生ずる恐れがある」と述べた。
 また、埋め立て免許の交付は、瀬戸内海の景観保全を定めた瀬戸内法に照らしても、「裁量権を逸脱した違法な行為にあたる」と指摘。「架橋が完成すれば(鞆の浦の)景観が大きく様変わりし、美しさが損なわれる」とした。県が策定した事業計画については、「周辺の道路事情は悪く、改善の必要性は認められるが、事前調査や検討が不十分で、景観の保全を犠牲にしてまで事業をしなければならないものか、大きな疑問が残る」と批判した。
 県側は裁判の中で、高齢化と過疎化が進む町の再生に事業は不可欠で、交通渋滞の解消などのメリットを主張。景観利益については、「具体的にどの原告が、どの範囲の場所で景観利益を有するか、全く証明されておらず、利益があると認定できない」と反論していた。 判決では、原告159人のうち、地元の鞆地区から転居するなどした19人については訴えを却下した。
 埋め立て・架橋事業は1983年12月、県が策定。鞆港の沿岸約2ヘクタールを埋め立て、駐車場やフェリー桟橋などを整備し、港を横切る長さ約179メートルの橋を架ける。総事業費は約55億円。知事が2008年6月、国に埋め立て免許を認可申請。今年1月、金子・前国土交通相は「国民の同意を取り付けてほしい」と認可に慎重な姿勢を示していた。

 判決骨子
 
▽広島県知事は、県及び福山市に対し、公有水面の埋め立ての免許を交付してはならない
 ▽鞆の景観は美しいだけでなく、歴史的、文化的価値を有する国民の財産である。近接する地域の人の景観利益は法律上、保護に値する

 ▽事業者が主張する埋め立て、架橋の必要性、公共性の根拠は、調査、検討が不十分で、合理性を欠く

 ユネスコ機関も中止決議
 鞆(とも)の浦 
 瀬戸内海の中央部にあって、古くから潮待ちの港として栄えた。歌人・大伴旅人が訪れて詠んだ歌が万葉集に収められ、江戸時代に寄港した外交使節団・朝鮮通信使は「日東第一形勝」(日本で一番の景勝地)と称賛した。近世の港湾施設の「常夜燈(じょうやとう)」(灯台)、「雁木(がんぎ)」(階段状の船着き場)などが残っている。世界遺産候補地を調査するユネスコの諮問機関・国際記念物遺跡会議は、2回、埋め立て・架橋事業中止を求める決議を採択している。(2009年10月1日  読売新聞)


【3月23日】 旧吉田茂邸が全焼 神奈川県大磯町 22日午前6時ごろ、神奈川県大磯町西小磯の旧吉田茂邸から出火したと、警備員から119番通報があった。県警によると、邸宅は全焼。周囲の樹木にも延焼したが、けが人はないという。大磯町消防本部では、普段は火の気がないことから、不審火の可能性もあるとみている。邸宅は吉田茂元首相の養父が明治17年に建て、約3万3000平方メートルの敷地に住居や賓客室、庭園などがある。吉田元首相と内外の要人が面会した戦後政治史の一舞台で、孫の麻生太郎首相も幼少期を過ごした。-産経ニュース-56


高松塚古墳(8世紀初め)
高松塚古墳壁画(8世紀初め)(奈良県明日香村)

(06.4.12)文化庁は'02年1月の壁画損傷(職員が石室内に設置してあった空気清浄機などを倒して、西壁の男子群像や漆喰部分を傷つけた)公表せず
(06.4.13)文化庁墳丘内の石室入り口の補強工事の際、防護服着用しないで作業。直後、カビ大量発生
(06.4.17)補強工事で土を固めるのに使用した樹脂に防カビ処理をせず、工事関係者を通じて持ち込まれたカビが樹脂を栄養源に繁殖しさらに、見落とされていた石室のふたの隙間からカビが侵入したとみられる。
(06.5.12)文化庁へ怒り噴出§作業の際工事関係者だけでなく、文化庁職員までもが防護服を着用しないで作業している事が判明。カビの大量発生を招く結果となっている。
(07.4.3)高松塚解体着手.北端天井5日石取り出しの為アーム搬入§奈良県明日香村、高松塚古墳(8世紀初め)の極彩色壁画(国宝)の保存.修復のため、文化庁は3日、石室解体作業を開始した。
(07.4.5)天井一枚目取り外し§文化庁は5日、北端の天井石をクレーンでつり上げて、約5メートル離れた作業スペースへ下ろすことに成功。世界でも殆ど例がない石室解体プロジェクトは、最初の難関を越えた
(07.4.6)最初に取り出された天井石の裏側などに「黒カビ」による汚れが広がっていることが解った。文化庁はブラシでカビをこすり落とした後、エタノールで処理するとしている。
(07.6.7)文化庁は7日、四神の一つ「青龍」が描かれた東側壁の取り外しを始めた。8日に同古墳の修理施設に搬入。「青龍」は風水思想に基づいて描かれた東方守護の神獣。尾の一部は泥水で汚れているが、胴体や顔には鮮やかな色彩が残っていた。
(07.6.10)高松古墳の石室解体で、文化庁は14日、四神の一つ「白虎」が描かれていた西側壁を取り外す。白虎は他の極彩色壁画に比べて、輪郭が殆ど見えなくなるなど劣化が著しい。白虎は何故消えたのか、文化庁による本格的な謎の解明は、解体終了後にわかるで有ろう

平城京「十条大路」(710〜784年)

(07.6.14)奈良県大和群山市の下三橋遺跡で、平城京(710〜784年)の「十条大路」の遺構が初めて確認され、市教委と元興寺文化財研究所が13日発表。平城京は南北九条という従来の定説を覆しその前の藤原京(694〜710年、同県樫原市)と同様、十条で計画されていたことが明らかになり、平城京造営や、整備の過程に関しての重要な発見であると言う。
 平城京:元明天皇により、藤原京から710年に遷都。784年に長岡京に遷都されるまで都が置かれた。道幅が88メートルある朱雀大路を軸に右京と左京に分かれ、南北に延びる一坊から四坊の大通りが作られた。東西は各大路によって道幅が違うことがわかっており、三条大路は22.7〜15.7メートル、六条大路は14.4メートル。
同遺跡では、之まで、九条大路の南側で条坊道路が出土。740年以降に、九条大路の大門「羅生門」を中心に、城壁の羅城が東西薬1キロに築かれていたことが判明している。しかし、付近では建物の遺構は殆どない。また、遷都から20年しか経っていない730年頃までに、意図的に埋められ、水田として利用。十条大路の南では「十一条」とみられる遺構は見つかって以いあない。設計段階では、藤原京と同じ「南北十条」の都市として、造営された可能性が高まってきた。
 平城京の造営を命じたのは元明天皇。我が子、文武天皇の意志を継ぎ、708年から造平城京司を設け、全国の民衆を使役した。続日本記には労働のヶ国さに「逃げ出す者も多い」との記述がある。壮大な計画に基づき、710年に遷都が実現したが、まもなく十条大路が姿を消し、京域が狭くなる。その理由について、専門家は718年と735年に帰ってきた遣唐使の影響を指摘する。
 元々、平城京の造営プランには、唐の長安城の姿が深く影響されており、長安を実際に見た吉備真備らの進言によって、変更を余儀なくされた。平城京は十条では縦長になるので、横長の長安城に近づけるために、減らしたと見られている。

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08.6.12 国内最古の化石発見:1億4000万年前のほ乳類化石
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